■原曲「ギハロの浜辺」とは?
それは、NHKの放送番組<「そして歌は誕生した」第十七集>で採り上げられました。四国は香川県の旧丸亀第一高校の英語の先生が生徒たちに歌って聞かせた「ギハロの浜辺」がめぐり巡って「さすらい」になったというものです。
「さすらい」の歌詞カードには、作詞:西沢爽/補作曲:狛林正一/採譜:植内要(にわうち かなめ)とあります。「さすらい」に直接結びついたポイントは、ここにあります。植内要とは当時、コロムビアの文芸部長をされいた方のペンネームです。その方が学生時代に丸亀高校出身の方と学生寮が同じであったことから、英語の先生に聞かされていた哀愁あるメロディーを寮の友人であった植内氏に採譜を依頼します。植内氏は後に小林旭さんのための歌に相応しいと思い、コロムビアの当時の名ディレクター・馬淵玄三氏に託します。馬淵氏は作詞家の西沢氏に「深い陰影のある男の寂しさを表現する詩に変えて欲しい」と依頼します。
一方、丸亀の地元では別の教え子であった方が瀬戸内海放送の番組制作時のBGMに相応しい曲をと探している内に恩師に教わった「ギハロの浜辺」を思い出し当時の音楽の先生に編曲を依頼します。「ギハロの浜辺」はラジオ放送として流れました。そして、その歌を戦地から持ち帰られた先生は記録として、カセットテープに録られました。これは先生の遺品として譜面と共に発見されています。「ギハロの浜辺」を持ち帰られた先生は大ヒット曲「さすらい」に生まれ変わっていたことも知らずに亡くなられたそうです。
「ギハロの浜辺」は上記の先生がフィリピンの収容所に抑留されていた際に京都の第十六師団の将兵から聞いたものではないかと関係者が証言されていました。先生の譜面の記録には、作詞 第十六師団将兵 作曲 大西嘉武とありました。編曲は後の上記の音楽の先生の名前が記されていました。
※ここまでは、NHK放送分を参考に私が書き直したものです。放送では明示されていた個人名などは省いたので(一般個人名なので、あえて省きました)相関関係がわかりづらいかと思います。ご了承下さい。別途に関係図を設けます。
■もうひとつの「ギハロの浜辺」
「さすらい」の原曲が「ギハロの浜辺」であることは紹介されましたが、この原曲のメロディを聴いて、もうひとつの歌に思い当たります。それは「哀歌」です。この曲も発売当時は「第二のさすらい」として売り出されました。その意味が当時はよく理解できなかったのですが、「ギハロの浜辺」のメロディラインを残してあるのがこちらかと思います。もちろん、アレンジの迫力などは違いますが、この歌を聴くと万感胸に迫るものがあるのはタイトルが示す通りかと思います。2番までのこの歌詞、作られた背景にも様々なことがあったのでしょうね。
●小林旭コンプリートシングルズVol.4 Disc 2に収録
後に「さすらい」のタイトルで制作された、サーカスの映画。
(CS・チャンネルNecoでも放映中・放送日確認して下さい)2006年10月現在
●関連ページ 「今もどこかでさすらいの歌が流れる」