夜がまた来る 思い出つれて おれを泣かせに 足音もなく
この歌の元歌は太平洋戦争中に南方戦線(現パプアニューギニアあたり)で兵士の間で歌われた「ギロハの浜辺」といわれます。それを四国の学校の先生が授業中に歌い、生徒であった植内要氏が採譜し、それを狛林正一氏が作曲・編曲を行い、西沢爽氏が作詞したものです。
「さすらい」は“流れ者シリーズ3作目”『南海の狼火』(1960年9月3日公開)の主題歌として登場。翌月10月にレコードも発売されました。当時の記録であるコロムビアレコードの年間ヒット賞のベスト5の中には、一位「ズンドコ節」二位「ダンチョネ節」とアキラさんが続き、三位・四位を置いて五位が「さすらい」となっています。一時期、小林旭さんは、この歌をあまり歌わないようにしようと誓ったことがある。この歌の持つ暗さが聴く人の気持ちを暗くさせてしまうからという気遣いからだった。しかし、ファンの立場としては、それはないでしょうと思うのですがね。これを聴いて、とことん落ち込んでから私は発奮する方ですから(笑)。 《関連リンクページ》
当時の「さすらい」ブームの勢いについて、以下は週刊誌に掲載されたエピソード(1961年7月30日号・週刊明星)。
銀座のバーに勤めるU子さんは、夜寝る前に必ず『さすらい』のレコードをかけることにしている。あのアキラ独特の“高音の哀愁ムード”にひたっていると、トメドなく涙があふれてきて、そのあとはぐっすり熟睡できるからだそうだ。(中略)こうした子守唄がわりの効能もあってか、『さすらい』の人気は天井知らずの有様で、6月発売の『続さすらい』『黒い傷痕のブルース』もスゴイ大ヒット・・・とあります。
「さすらい」というタイトルの歌は他にもありました。これも当時はヒットしたので、御存知の方も多いでしょう。この曲の歌手の方についてはここでは触れません。また、「旅の終わりに」という冠二郎氏の歌も「さすらい」にインスパイアされて出来た曲であると聞いております。
「さすらい」が歌われた映画
映画タイトル(公開日)
|
主題歌/挿入歌
|
南海の狼火
(1960.09.03 )
|
主題歌
|
風に逆らう流れ者(1961.04.09)
|
主題歌
|
渡り鳥北へ帰る
(1962.01.03 )
|
挿入歌
|
さすらい
(1962.02.03)
|
挿入歌
|
遙かなる国の歌(1962.07.15)
|
挿入歌
|
さすらいの賭博師
(1964.08.05)
|
主題歌
|
黒いダイスが俺を呼ぶ
(1964.10.30)
|
主題歌
|
さすらいは俺の運命
(1965.04.03)
|
挿入歌
|
●当時の新聞からのエピソード
《小林旭、放火少年を逮捕》が東京の某新聞のトップ記事に掲載された。(*「東京スポーツ」?)
田舎を飛び出した18歳の少年が、苦労して東京へ流れてきたあげく放火。だがアキラの渡り鳥映画を見て「あの主人公の伸次は、生い立ちがオレとそっくりだ。ところが彼は弱きを助け強きを挫く男で、このオレときた日には……」とダメな自分がつくづく恥ずかしくなり、放火の犯行を警察へ自首して出た。「世間では渡り鳥映画の悪影響もうんぬんされているが、とんだところで功徳をほどこす一面もあるんだな」−警察では、すっかり“渡り鳥映画”の値打ちを見直したという。(1961年7月30日号・週刊明星より)
●1960年当時のタイ・バンコクでのアキラ映画は年間25本が上映された。
『波濤を越える渡り鳥』のロケが、バンコクで行われたのには上のような背景がありました。バンコクでは圧倒的な人気を誇っていたアキラさんのファンへのサービスということもあったのでしょう。それにしてもスゴイ本数が上映されていたものです。
●『そして歌は誕生した』第17集 12月29日(月) 19:30〜20:45 NHK総合
この番組で「さすらい」がとりあげられます。かつて「北帰行」では、アキラさんは、名プロデューサーの馬淵玄三氏といっしょに出演されていました。今度の放送にも期待しましょう。
*********************************************************
SPECIAL
THANKS SANAEさん
資料を提供して頂いて有難うございました。
|