「人生BBS」に書かれた、アキラさん、ジャンバールさん、マカオの竜さんの書き込みを編集し、まとめたものです。
 

マイペースでどうぞ・・! ・ジャンバール- 2005/06/22

竜さん・・監督には拘らず、アキラに200%拘らせて頂いてます。(笑)
スタッフを絡めての丁重なる分析、公開時の背景推察等もまた読み応えもあります。
 「黒い賭博師」はシリーズの中でも、新たな魅力を発揮し、現実的であり、落ち着いて娯楽に徹し楽しめた作品の印象があります。最後の歌とコミックも良かったです。
 竜さんのペースでどうぞお進めください。いずれ何らかの感想を出してくれる作品として前回投稿の2作品をあげてみました。
 アキラさんもどうぞ予告通りの絶妙なご感想を楽しみに待っております。「銀座旋風児」はすごい印象を与えた、存在アピール・・スター誕生の作品と捉えています。インパクトは渡り鳥・流れ者よりもマイトガイアキラとして心に残っております。 私的に言いますと、前回投稿の2作品は日活でのアキラ作品として心に残したい作品なのですが、完成度としては期待が大きすぎたこともあって・・当時の製作背景や環境からして少し別の意味で今一だったという感じがしないのでもないのですが・・(笑)

 

もっと赤道を駈けろ!  ・アキラ- 2005/06/22

 100本を期して旭は新趣向のヒーローを創造しようと思ったはずです。公開時から興行的にも内容的にもイマイチの評価で終わったのは、「赤道を駈ける」はずの影をもつ男・伊吹二郎が、あまり「駈ける」こともなく、行動も「静」のトーンで、ファンは欲求不満、旭も不燃焼で、どうも双方しっくりいかぬまま終わったドラマです。生地ブラジルまで逃亡した伊吹は、もっとダイナミックに父を殺した内田朝雄を追い詰める展開にすべきです。せっかくイグアナの雄大な背景、リオの広大な浜辺をとりいれながら、それが生きてこないのです。ヤマ場の銃撃戦は地下室でなく、イグアナ瀑布にするべきでしょう。雰囲気造りに多くのショットが入れられているリオのカーニバルも、なぜか迫力不足です。渡り鳥の例えば佐渡の祭とか、祭のシーンの方がよっぽど迫力あります。名匠齋藤武市監督らしくないなあ。ブラジルまでロケをして、過去の暗い影をもつ男を撮るのなら、『放浪のうた』に匹敵するヒーローを造ってほしかったと思います。残念ながら若林映子の悲しみは、『放浪の・・』広瀬みさの悲しみの深さに到底及びません。せっかく近藤宏、内田良平、内田朝雄、金子信雄という「渡り鳥常連組」の面々がいい味を出しているのに、惜しい出来あがりでした。一作一作に工夫を凝らした『あいつ』シリーズの都築浩介の方が、やっぱり旭の個性を生かしたヒーローだったと思うのです。旭の挑戦する野心は高く買いますが、どうも人物像造形で失敗したといわざるをえません。
その点、『鉄火の花道』の「片目の一本松」は、見事に創り出した旭の成功したニューヒーローです。皮肉なことに元気な高橋英樹も損してないが、「主役」の石原裕次郎演じる「小村伸次朗」は中途半端な設定で、明らかに裕次郎は損をしてます。一本松の圧倒的存在感で、これは「旭ワールド」の映画になってますね。・・・と予告編を書いて、また後日。それにしても『鉄火の花道』と『赤道を駈ける男』は同じ1968年の公開なんですね。裕次郎は2月17日封切の『黒部の太陽』で新境地を拓くこととなるんですね。

 

『赤道を駈ける男』     ジャンバール- 2005/06/23

 荒れ始めた邦画スターシステム崩壊の兆しが見えた頃・・裕次郎始め独立プロの三船・萬屋・勝等とのキャスティングや時代劇スター主の企画予想と俺は群れないという本来の性格があって・・当時、日活から裕次郎とアキラが離れるという話題も確かにあって、裕次郎の取りまとめに背を向けて俺流で記念映画の製作に踏み切ったアキラ。
 どうしてもアクション映画を・・007張りのものを・・との構想で企画は良かったものの、斜陽がかった邦画界にアピールするにはビッグネームの共演者・・前述のごとく国内スターは無理なので外国ロケだけにそこそこ知られた外国スターでも良かった。
 丹波哲郎と若林映子ではインパクトが弱い。記念映画だけにゲストスターとして浅丘ルリ子は呼ぶべきだった。でも新婚旅行を兼ねてのブラジルロケでは青山京子の手前無理だったろう。
 3分に1度の派手なアクションを製作段階でアピールしていたが、割り切って007張りアクションに徹してもよかったと思うが・・監督が斉藤武市でこの手の映画では苦手なタイプ。どちらかといえば日活以前からのロマンス派・・アクションに徹するとなるとまず無理で、後日アキラ本人もこれを認めていた。リオのカーニバル、イグアスの滝、コパカバーナの海岸、コルドバードのキリスト像・・と異国情緒あふれる背景で海洋も生かし、ほとんど007の日本版リメイクアクションでもよかったと思う。結果としてすべてに中途半端だった・・自主制作というスポンサー筋の無理な要求や配給先日活からの圧力、ブラジルでの現地撮影事情の規制とか予測に反した部分とか大いに反省点があったと思う。何にもましてまず観客に目を惹かす為のキャスティングと海外ロケーションの醍醐味とアクションに徹しての製作ができず、今までのシリーズ物の二番煎じ程度であったことが残念。監督もミスキャストでもしロン・ウーを使っていたら面白かったろうにと思うのは非現実的だとは思うけど・・。
 さあ!50周年の記念映画をジョン・ウーで・・外国人スターのビッグネームも呼んで・・アクション大河作品を是非期待したいものです。(笑)

 

黒い賭博師と中平康と闇の中の魑魅魍魎 第2回 
マカオの竜- 2005/06/23

 「第1回では記憶の中にある黒い賭博師について書かせてもらった。今回は中平康について書かれた本の紹介を中心に書いていきたい。
 中平康と小林旭の組合せは「黒い賭博師」(65年8月)が2本目であり、「殺したのは誰だ」(57年7月)以来であった。前作は菅井一郎の主役であり、彼が新藤兼人に脚本を依頼していたものだそうである。小林旭のビリヤードシーンに4日も費やし、陣中見舞いに訪れた新藤兼人にこんなシーンに時間をかけるのは、少し違うんじゃないかと苦言を呈されたとのことである。(究極のモダニスト-中平康 P48) こんな監督が作る賭博師シリーズが今までの作品傾向と違ってくるのは自明の理ではないか。中国人賭博師モノクルの楊とのポーカーと花札の勝負や、この作品のためルーレット・テーブルは本物を使うなど随所に中平のこだわりがみえている。(前本 58P) これらの解説を今みるとあぁそうなのかとの感慨はでてくるのだが、見ていて面白いとおもった記憶がない。賭博のこと、中平のモダン感覚といわれるものを年齢的にも理解できる範囲をこえた作品であった。
 つづく「悪魔の左手」(68年1月) は「この虹の消える時にも」と一緒にみたことで、良きにつけ悪しきにつけ自分の中で「悪魔の〜」の価値を決めてしまう。それは「この虹の〜」だけが記憶に残り、後になると何やら不思議な映画だったとのおもいだけが残り、いいことだけを残そうとする、人間の勝手な取捨選択で記憶の底に埋没してしまったのである。その記憶の底から甦らせたのが「闇の中の魑魅魍魎」(71年6月)である。この作品のシナリオが映画芸術誌に掲載され同時に特集が組まれたことにより、題材となった土佐の絵金のことを知ったのである。おどろおどろしい、血で溢れた芝居絵。今も高知では夏祭りに展示されるそうである。中平は日活退社後、父親の土地を売った資金を元に中平プロを設立、父母の故郷高知を舞台にこの作品を製作監督する。この作品の特集により監督、中平康が再び私の前に現れる。遠い日に感動させてくれた不良少年映画「泥だらけの純情」、そして「悪魔の左手」の監督として。このころはまだ、「悪魔の〜」はまだ今のよう評価されてはいない。しかし、土佐の絵金の話しはいやがおうにも私に賭博師を意識させてくれたのである。なお、ここではこの絵金の物語の詳細は語ることを避けておく。土佐藩の御用絵師の地位をすて、権力とは無縁の町の絵師としての生き方に強く惹かれたことだけ記しておき、今でも私の中で生きているということで終わっておく。そしてこの作品は幸いにもカンヌ映画祭に出品されるのだが、「儀式」の大島渚が映画際事務局長に「出品が賄賂に基ずくもの」と抗議する。このことにより、審査員の印象が悪くなったのか無冠となってしまう。(究極のモダニスト-中平康 P49) こうして中平はその後ATGと提携した「変奏曲」(76年2月)で金銭トラブルを抱えるものの何とか完成、これを最後に映画から離れ、78年9月に胃癌にて死去、52歳であった。(1926年1月生誕)
 この中平の経歴を簡単ではあるが紹介したのは「悪魔の左手」を理解するためにはどうしても欠かせないと考える、このなんともいえない、無国籍で荒唐無稽で奇想奇天烈な作品の真の理解に知っていたほうがいいと考えるからである。しかし、今、私の評価を詳しく書いてもあまり意味のあることではない。なぜなら第1回でも書いたように、日活首脳が「とんでもない作品」というぐらいの作品である。この作品の評価は時代の推移とともに変ってきている。ちょうど鈴木清順監督作品が今日になってもてはやされるように、この人の作品もまた、今日になってその型破りの面白さが評価されるようになったものである。私の感想もまた、後の知識として得たことが作品の評価を変え、これが中平の作品の持つ先進性を知識として吸収されているからである。ここではその奇想天外なエピソードを紹介することに留めておきたい。中平の撮影台本には、赤塚不二夫の「シェー」を大泉滉にオチでやらせる書込みが残っている。(中平康レトロスペクティヴ P55) シナリオ初稿での香番表には第一王妃に加賀まりこをキャスティングしている。(前本 同ページ) 完成した初号プリントには出演者全員に「今年も日活映画をよろしく」と挨拶させる楽屋落ちがあり、日活幹部がカットさせたという。(究極のモダニスト-中平康 P15) もし、そのまま残っておれば「蒲田行進曲」(深作欣二作品)に先んずること14年前、楽屋落ちの大ラストとしてもてはやされたのではないかとおもうのは私だけだろうか。とどのつまり今となって傑作との評価
となっているのである。中平康が監督した黒い賭博師シリーズの2本、後年こんなにとりあげられることを予想できただろうか。いやできはしない。小林旭も罪な作品にでてくれたものである。何でも器用にこなしていく、旭の資質が、今花開いて評価されることを素直に喜びたいと思う。時代は出番を今、用意しているのである。
 
皆さん、この投稿内容にかかわらず遠慮なく旭に拘ってください。この投稿がジャンバールさんの拘りのために助けになることがあればそれで満足です。旭作品の分析研究を、そして日活映画、もっと大きく映画を理解することによって小林旭をより自分のものにするといったスタンスでいようとおもっています。そのため回をかさねるうちに旭よりも監督のことやスタツフのこと、日活映画全般のことが主の内容になりかねません。しかし、このことが小林旭の業績の評価につながると考えています。アキラさん、ジャンバールさん、長い目でみていただくようお願いします。アキラさん、やはり旭映画そのものの感想というか評価についての投稿内容、私より一日以上の長があると素直に脱帽します。もっと赤道を駈けろ!のタイトルにそれが凝縮されていると思います。これからもここを通してのおつきあいよろしくお願いします。ジャンバールさん、いろいろコメントをいただき感謝しています。励みにしています。これからもよろしくお願いします。

 

『鉄火の花道』  ・ジャンバール- 2005/06/24 

 邦画の世界で大きなうねりの起きつつあった時期。スターシステムと五社協定の崩壊。トップスターと経営者サイドとのあつれき。自由を求めて、いい映画を作りたい・・既成の枠を取り外し。さまざまなあつれきを乗り越えて企業をバックボーンに完成したのが三船と裕次郎との「黒部の太陽」です。その一月前の公開で日活でありえない組み合わせと暗黙の了解のあった石原裕次郎と小林旭の10年ぶりの本格的共演がこの「鉄火の花道」。
本編をみれば誰でも思うでしょうがクレジットの頭は小林旭、終わりが石原裕次郎が妥当のキャスティング内容でアキラの一人舞台・・美味しいところはほとんど取ってしまってます。裕次郎の精彩の無さは、その時の日活に対する気持ちがそのまま現れています。日活作品への出演をお正月映画ほぼ1本に取り決め・・独立プロ作品への情熱に走る出す頃で・・再婚アキラへの祝儀の共演という感じなのです。巷の論評でも、今更裕次郎・アキラの共演なんて時すでに遅しと酷評を受けていました。
 アキラ自身も日活への思いよりも自主作品「赤道を駈ける男」のゴールデンウイーク公開やら個人事業に気持ちの強くなってる時期であり、黄金時代を築いた二人が共に会社に心変わりし始めた時期でした。最初に共演を知った時にはまず、着流し物ということで失敗作の予感がしました。
 お正月作品の後半とはいえ、前半に公開された裕次郎主演の「黄金の野郎ども」・・現代アクションのこの作品での本格共演なら見ごたえもあったかと思います。だから「鉄火の花道」はアキラ主演の映画であり、序列を重視し裕次郎がただ頭にいるということなのです。
 手前味噌ながら日活黄金期のオールスター想定で考えた「暁に挑む群狼*」みたいなもので思い切った裕次郎・アキラ・英樹プラスαの現代アクション作品なら記念になったと思います。 (*注:ジャンバールさん作の仮想オリジナル)
以降裕次郎は「嵐の勇者たち」、「男の世界」とお正月アクション作品をアキラを交えず・・アキラも「地獄の破門状」で裕次郎を交えず共に日活準オールスター顔合わせものを撮ってますが。
「鉄火の花道」の製作、二人の共演には意味ある難しいそれぞれの事情背景が推測されるかと思っています。
アキラは「女の警察シリーズ」で・・裕次郎は上記出演で・・3年程度で黄金期を築いた二人が日活と共に消えていくこととなるわけですが独立プロ共演に走った現代アクションスター裕次郎も時代劇主のメンバーの中でいいものは残せず、皆わずかの期間で行き詰ることになります。アキラは生き場所を他社に求め、スターの存在を今に残し・・裕次郎は単なるアクションのないTVタレントに変わって行きます。人さまざまとはいえ、その時の環境による選択や生き様、もちろん寿命も含めて歴史を見てきたものにとっては何ともいえぬ感慨深いものです。
僕にとってはそんなことを思い起こさせる印象深い時期の共演作がこの「鉄火の花道」なのです。

 

スター共演の難しさ   ・アキラ- 2005/06/24

 裕次郎は自宅でニュープリントの『黒部の太陽』を何度も何度も上映し、見入っていたそうですね。あれほど日活随一のカネとスタッフを得て、多くの作品を世に出し続けた石原裕次郎にして最も執着したシャシンは、石原・三船プロのこの作品だったんですね。ジャンパールさん。お説の通り、裕次郎はアキラワールドに協力した『鉄火の花道』出演だったと、出来上がったシャシンを観てそう思います。スターの共演はビッグなほど難しい。勝 新太郎と三船の『座頭市と用心棒』は、苦心の作と認めますが、座頭市ファンも椿 三十郎ファンも欲求不満な映画となってしまいました。かといって、東映お家芸のオールスターもの、は「忠臣蔵」などというご存知時代劇ではその魅力を発揮しますし、例えば脇役の月形龍之介が主演を張る『水戸黄門』などで、錦之助、橋蔵、以下オールスターが共演する映画の成功例を観たりしますと、現代劇の難しさ、脚本の難しさを思います。せめて裕次郎と旭の「らしさ」を描くシャシンが撮れなかったんだろうか。惜しい共演でありました。その点女優共演は結構成功してますね。小百合、芦川、十朱、和泉共演の『四つの恋の物語』など、各女優の個性をうまく引出しています。男優はいかにも難しいのかなあ。私は終生無念に思う夢の共演候補があります。二階堂卓也、抜き射ちの竜、コルトの政、ルリ子と笹森が姉妹を演じる『銀座無頼帖・俺にまかせろ旋風児』と、抜き射ちの竜、野村浩次、念仏の政、笹森と松原智恵子が別離の姉妹を演じる『拳銃無頼帖・海を見つめる男』に、勝手に題名をつけたりしてごめんなさい、旭と赤木の相互出演をやってほしかったなあ。錠さんがキーパーソンになり、監督は両シリーズの野口博志氏で、脇は思いっきり豪華陣で、正月とお盆興行に分ければよろしい。日活さん、ストーリーは私に聞いてくれればアイディアを出しましたのに。(笑)旭と英樹の多くの共演を見るにつけ、赤木の夭折を無念に思うのです。でも、さすがの日活も映画斜陽化にあわてて、迷走の末“ロマンポルノ”路線に陥ってしまいました。私は100%ポルノを否定はしませんが、日活至宝の大スター、小林旭と石原裕次郎を失うこととなるのに、十分それに代わる路線だったとは到底思えないのです。アメリカ映画の隆盛をみながら、邦画業界のセンス不足を残念に思っています。・・・日活映画をこよなく愛するファンの一人として。


鉄火の花道と赤道を駆ける男のころ  ・マカオの竜 - 2005/06/24
(以後の掲載分をまとめて)

 「鉄火の花道」は68年1月13日公開、「赤道を駆ける男」は68年4月28日公開であり、それぞれの併映は「無頼より 大幹部」「大幹部 無頼」である。客層が競合するこの時期の東映の作品は次のようになっている。「博奕打ち 総長賭博」「日本暗黒史 情無用」1月14日公開、「代貸」「獄中の顔役」4月19日公開である。もうお気づきのこととおもう。日活は後にニューアクションと定義されることになる無頼シリーズの第1作(舛田利雄監督作品)、第2作(小澤啓一監督作品)であり、ニューアクションの第1作、第2作でもある。これについては、東映の作品について若干の考察をすることで日活作品の特徴を際立たせ、2作品のことを解説できるとおもう。
 「博奕打ち 総長賭博」は公開時の評価こそ少なかったものの、後、三島由紀夫が論評することによって今日、任侠映画の傑作とされる。情念の塊、極めて日本人の心情というか歌舞伎の世界にも通ずる筋立て、主人公鶴田浩二の行動理念は義理という名で縛られる苦悩を、ラストで発散させる。シナリオ誌69年7月号に掲載されたため、何度も読み返しているが、笠原和夫の作劇術は余人にはなかなか真似できるものではない。
 「俺はただのケチな人殺しなんだ…そう思ってくれ…叔父貴」の台詞がすべてを語っているとおもう。少し横道にそれるが、シナリオ誌に掲載されるのが公開から一年半、やくざ映画が当時どのような評価をうけていたかわかるとおもう。三島が誉めたことにより評価がかわる、日本人の権威主義を指摘しておきたい。笠原和夫が腹ふくるるおもいと、シナリオ誌に寄稿していることも紹介しておきたい。「日本暗黒史 情無用」は安藤昇主演の、後の実録ものに通ずる要素を含む、役者の個性をいかした作品である。「代貸」は鶴田浩二、「獄中の顔役」は高倉健主演のやくざ映画である。作品の内容についてはここで論評はしない。ただ、二人のスターの組合せによる同時公開は、この時代には珍しいプログラムピクチャーの1ヶ月公開となっている。(キネ旬ベストテン号日本映画一覧参照) 
 これに対して擬似東映路線と呼ばれる任侠映画が鉄火の花道であり、無頼シリーズなのである。日活が作る任侠映画は東映の掟に縛られる苦悩がない。ドライなのである。無国籍アクションの延長上にあることが明らかにわかるものであった。
以上述べてきたことを踏まえて「鉄火の花道」と「赤道を駆ける男」について考察していきたい。作品の個々の内容についてはアキラさんとジャンバールさんの考察におまかせして、ありていにいえば公開時に一度みているだけで、お二人のように作品の中身を語るほど憶えていないからである。そこで、作品にまつわることを中心にして、お二人とは違う観点からのもので書いていきたい。
 「遊侠三国志 鉄火の花道」ですぐにおもいだされるのは、小林旭著作の「さすらい」である。自身が語るにはある事を境にして、裕次郎との付き合いを自ら絶ったという。きっかけとなったのが酒の席で小馬鹿にされたことらしい。詳細は読んでいただくとして、多少のやりとりの後、日活での稼ぎのことを自慢されたことに端を発し、付き合うこともなくなったとある。(渡り鳥一家と裕次郎一派の項より) これがいつのことか判然としない。昭和30年代半ばには銀座で飲んだとの記述があるので、それ以降のことだとは判る。「錆びたナイフ」での共演が58年のことであるら、それ以来同じフィルムに写ることはなかったのに、私的な交流もある時点からなくなっていたのである。「鉄火の花道」で日活の二枚看板が共演することは画期的な出来事であるはずのものが、裏にそのような確執があったことが作品に影響していないのだろうか。さらに「さすらい」での記述で、このころの日活での小林旭の位置について考えてみよう。日活の姿勢と映画に対する情熱から、退社するのが67年4月1日と記されている。この退社というのが専属契約の解除をさすのかについては記載がない。この後も日活での出演は続くから本数契約に切替たということなのか。いずれにしても「さすらい」からは掴むことが出来ない。先述の日活の姿勢とは、先代の堀久作社長から後継者に代わり、これも代わったばかりの撮影所長が旭の自宅まで来たという。日活で一番高いギャラの小林旭の出演料をまけてほしい。との用件を抱えて。退社のきっかけとなったこととして書かれていることなので事実であろう。

 ここで、67年から68年までの旭の出演作品を概観してみよう。不死身なあいつ(67年1月) 命しらずのあいつ(67年4月) 爆弾男といわれるあいつ(67年6月) 喜劇 東京の田舎っぺ(67年8月) 対決(67年9月) 爆破3秒前(67年10月) 君は恋人(67年11月) 決斗(67年11月) 鉄火の花道(68年1月) 赤道を駆ける男(68年4月) 嵐の果し状(68年8月) 縄張はもらった(68年1月) 三匹の悪党(68年10月) 地獄の破門状(69年1月) (括弧内は公開月) こうしてみると単独主演の作品が少ないのに気がつくとおもう。全14作のうち、単独主演は不死身なあいつ、命しらずのあいつ、爆弾男といわれるあいつ、赤道を駆ける男の4本。高橋英樹との共演作、対決、爆破3秒前、決斗、嵐の果し状、三匹の悪党、地獄の破門状の6本、主演ではあるが集団抗争劇の範疇の縄張はもらったの1本、お付き合い作の喜劇 東京の田舎っぺ、君は恋人の2本、そしてオールスターの鉄火の花道の1本、計14本となる。今まで一ファンとして高橋英樹との共演については書いてきた。しかし、ここでその立場を離れ、冷静に分析すると、日活がいかに次代のスターとして高橋英樹を確立させようとしていたかがよくわかるとおもう。それと主演でないことで小林旭のギャラを抑えながら、かつ本数契約分を履行するとともに、旭人気を利用する経営上の思惑が見え隠れしているのではないかとおもわざるをえない。再び「さすらい」からこの間のことを旭自身に解説してもらおう。日活での役割は俺の映画に若い俳優をくっつけてきて世にだせば、必ずどこかで人気者がでてくる。女優もそうだ。(飛ぶ鳥落とす渡り鳥の項より) 会社は日活の灯を消さないように石をダイヤモンドに変えるべく若手スターを育てようとした。激流に生きる男を高橋英樹で撮り直ししたが赤木とは、持ち味がちがうので興行的には全然だめだった。(赤木圭一郎とダイヤモンドラインの項より) と語っている。これが英樹と共演することの旭の意識であったとおもう。鉄火の花道だけのことではないがこのことは指摘しておきたい。そして小林旭が日活退社のあとに製作され、完全主演したのは自主製作の赤道を駆ける男だけということになるといっておく。この作品のことは先で書くことにして、鉄火の花道は状況からみると必ずしも本人自身がやる気でいたとはいいがたく、それがお二人の作品の評価にあらわれているとおもう。私としてはシナリオライターの星川清司が創作した旭が演じるキャラクター、片目の一本松と、対決で池上金男が創作した満州常のキャラクターとの共通性に、しかも対決は次の決斗で、鉄火の花道は次の三匹の悪党と代紋 男の盃(69年6月)で再登場させていることに、旭の個性が遺憾なく発揮された作品もあった証拠としてあげておきたいとおもう。

 赤道を駆ける男は日活退社後にアローエンタープライズを設立し自主製作した作品である。映画に対する情熱をもたないところに居場所はないという信念で作ったと本人は語っている。ブラジルロケも敢行し当時としてはかなりの制作費を投じたという。日活はエージェントとなって製作したものを買い取っていく。日活自体は儲けるだけ儲けておいて一切怪我はしない。損をするのは製作者と俳優だけ。とはっきり日活を批判している。また、 この後は「旭日総業」を設立し、ゴルフ場の経営で実業界と芸能界の二足の草鞋をはくことになったとも書いている。(昭和42年の項より) 作品のことはお二人が的確に分析されているので特に追加してまで語ることはない。私としては共演の丹波哲郎のことについての「熱き心に」での旭の発言が発売以来、胸にずっと引っ掛っている。丹波とは「大森林に向かって立つ」とこの「赤道を駆ける男」があるのだが、長い空白があって東映で再度顔を合わせることになる。あちらが親分役、こちらが子分役で尊大な態度にみえることがあり昔のこと、大森林に向かって立つのときのこと話すとそーかぁといってとぼけたとの記述がある。(たすけられたりたすけたりの項より)これも詳細は読んでほしいし、つづけて芦田伸介のこともふれているので旭自身が何をいいたいのか掴んで欲しいとおもう。解釈が人様々になるとおもうがここはこの記述の紹介だけにしておきたい。
 東映と日活の違いはドラマ作りにたいし、何を根底におくか、との違いとおもう。現代アクションを主軸に映画作りをしてきたため、東映のもつ男と女の情念、義理人情へのこだわりにかけたのが痛かったとおもう。後に、マキノ雅弘監督を呼んで高橋英樹で「日本残侠伝」などを製作する。ちなみに、マキノの名付けで梶芽衣子はこのとき太田雅子から改名したものである。此の事が物語るように日活が日活らしさを脱却しようとしたとき、ニューアクションという仇花を残して、日活の命運がつきたとおもう。鉄火の花道と赤道に駆ける男は日活のスターシステムを崩壊させる前兆としてとらえればつじつまがあうのである。


不世出の2大スター!  
・ジャンバール- 2005/06/30

  言わずと知れた昭和30年代の邦画界をリードした日活アクション王国の裕次郎とアキラ。
 ダイヤモンドラインとはいえ、トニーの瞬時の輝きを除けば・・やはり裕次郎とアキラに尽きる。
 東映の両御大に始まり錦之助・橋蔵、雷蔵・勝新、鶴田・高倉などライバルが競って盛り上げてきた邦画の世界。
 何といっても日本全国爆発的なブームを呼んだのは、この二人をおいて他に台頭出来る者はいないと思う。
 後年東映で鶴田・高倉が挿入歌の取り入れなど歌う銀幕スター裕次郎・アキラの模倣で一時的なブームを起こしたが元祖日活の両ビッグスターは邦画世界のいつの世にも知名度NO.1として存在している。歌だけとっても、今の世にこれだけポピュラーに指示され本当に素晴らしい。裕次郎亡き後、アキラに至っては今現在も昭和の香りを残しつつ現役ビッグアーティストとして存在し、さらに輝きを見せつつある。
 本当に我々ファンとしては誇り高き思いで最後の巨星の燃え尽きる姿をただひたすら目に出来れば幸せかと思う。 巷間言われた両雄並び立たず、ライバルの不仲・・それなりに己の領域を超え・犯される不安や関わる外界の違いなど理由はともあれ・・。
 心の奥深くでの存在意識はきっと強いものがあり、それぞれに愛着は深くいつまでも同胞意識が強いことだったと思う。 日活は二谷・宍戸が取りまとめ役となり仲間意識や団結力が強かった。裕次郎も率先して若い仲間の台頭を喜び親分肌となりアキラやトニーを本当に可愛がっていた。
 アキラが群を抜く成長を遂げ、裕次郎も個人を離れ会社組織にあらたな取り巻きグループの影響から・・両雄も個人のわがままで勝手な付き合いも若い頃のようには出来なくなり、疎遠になったのも当然。アキラも群れない、媚びないの我の強さで我道まい進で日活同期の楽しい時代も思い出となってしまったように見える。しかし心の友情は生きて、知る人ぞ知る・・人生の思い出深い時代の同胞の存在は皆、その人にしか解からない強いものがあるものである。アキラの記念行事には裕次郎は兄貴分として必ず参加激励していたし、裕次郎の末期を知ったアキラの心情はすごくわかるような気がする。逢いたいが逢えない・・亡くなった時の焦燥感はけっして演技ではなく人間アキラの姿が素直に出ていた。すべてに人それぞれの運命だが人の交流もまさに運命としか言い得ない。裕次郎とアキラの場合は裕次郎が会社組織を作らず一個人のまま大スター裕次郎で終わっていたら・・違ったように思える。
  元気でいれば今頃二人の50周年記念で裕次郎・アキラの最初で最後のビッグジョイントコンサートが行われたかもしれない。裕次郎もアキラも我々を本当に楽しませてくれた素晴らしい不世出の大スターと讃えたい。

 

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