★自動車より丈夫
高橋 やあ・・・
小林 こんにちは。相変わらずお元気ですね。
高橋 これのおかげ。(とゴルフのクラブをふるゼスチュア)(笑)
小林 いいなあ。
高橋 旭クンとしてはいそがしくて遊ぶひまもないだろう。バテてるんじゃないかと思って心配して来たんだけど。
小林 この通り。(と胸をたたいてみせる)ボクは自分でもびっくりするほどタフで、少しくらい徹夜がつづいても、へっちゃらなんです。
高橋 君がたおれたらお手上あげだからね。
小林 ちょっとやそっとでは倒れませんよ。デビューしてまだ間もないころですけど、自動車をとばしすぎて、ひっくり返ったことがあるんです。
高橋 危い、危い。スピードには注意しなさいよ。
小林 いまはもう、そんな無茶はしないけど、そのとき車はメチャクチャになっちゃったんです。だけどボクはなんともなかった。
高橋 タフなもんだ。
小林 ところが宿屋に帰ったとたんに、バタン。(笑)
高橋 緊張がいっぺんにとれて・・・。
小林 二十時間近くも眠っちゃった。
高橋 スタッフの連中、心配したろうね。
小林 そのまま死ぬかと思って(笑)
高橋 もう、そんな無茶やめなさいよ。
小林 大丈夫です。裕ちゃんがカムバックするまで、ジョー(宍戸錠さん)と和田浩治とボクががんばらないと・・・。
★千金の値打ち
高橋 目下の情勢は、日活としてはどうなってるの?
小林 別にかわりないんじゃないんですか。赤木の企画は全部ご破算にして、そのかわりにボクやジョーの新しい企画が入るんです。
高橋 赤木作品を旭クンがやるんじゃなくて。
小林 そううじゃないんです。だから『嵐が俺を呼んでいる』なんていう”旋風児シリーズ”が一年ぶりに入ったりするんです。
高橋 旭クンのシリーズものは、ずいぶんたくさんあるね。
小林 そうでもありませんよ。”旋風児シリーズ”と”渡り鳥シリーズ”それにいまやってる”流れ者シリーズ”(『風に逆らう流れ者』)の三つ。
高橋 それを、とっかえひっかえやるんだから、相当にしんどいね。
小林 別にどうということないないな。ジョーがダイヤモンド・ラインに入って、主演ものをはじめたし(第一作『ろくでなし稼業』)
高橋 ご立派。
小林 正直いって、裕ちゃんがゴールデン・ウイークまでに出てくれば、絶対に大丈夫ですよ。
高橋 ふーむ、絶対に大丈夫ね。この言葉には千金の値打ちあり
小林 いや、ボクらは外部の人が、日活が大変だと騒いでいるほど、気にしてませんよ。裕ちゃんはもう歩けるし・・・。もっとも赤木のいなくなったのは、さびしくて仕方ないけど、仕事の面では心配ありませんよ。
高橋 ファンの皆様どうぞご安心ください。(笑)
★警戒警報
高橋 だけどこんどの二人の事故で、注意信号が出たでしょう。
小林 注意信号どころか、警戒警報が出てますよ。(笑)
高橋 こんどから契約の条件にいろいろ入るんじゃないの。
小林 自動車を運転できる人はだめなんて・・・。(笑)そんなのヨワイよ。(笑)
高橋 とすると玉川(小林さんの家)から撮影まで十分という、旋風運転とはお別れ。(笑)
小林 まあね。(笑)だけど急いでいるときは、つい自分でやっちゃうな。ボクなら遅くても十五分で来るのに、本職の運転手にたのむと四十五分もかかるんですよ。
高橋 三倍だね。やっぱり本職は念が入ってるんだよ。(笑)
小林 こればかりは、念入りなのは困る。(笑)うしろの座席で、時計にらめっこしながらいらいらして、たばこを吸う気もしない。(笑)
高橋 生まれながらの旋風児だよ、君は。(笑)
小林 せっかく自動車に乗ってるんだもの。うしろの座席にいても、怪我をするときにはするんだから・・・一人一人が、要するに事故を起こさないように、自分の行動に対して責任を持てばいいんですよね。
高橋 おっしゃる通り。
小林 赤木は不幸にも、ああいう事故を起こしたでしょう。あれは、やっぱり仕事の疲れが重なったもんだと思うんですよ。疲れが重なると、よくボヤッとしちゃうこと、ありますよね。
高橋 ある、ある。神経がいかれちゃうんだ。
小林 そういうときにも、心をしっかりとひきしめて、自分を大切に扱うことじゃないですか。
高橋 まったくその通り。俳優さん全部がそういう心がけを持ってほしいな。
★最後の会話
小林 ほんとに赤木は可哀そうなことしましたよ。いい奴だったのに・・・。
高橋 まだ二十一歳でしょう、惜しいね。
小林 なんか独特の雰囲気があったなあ。ボクらが見ていても、ああいい男だなと思うこtがありました。同じ日活ダイヤモンド・ラインでも、裕ちゃん、ジョー、和田浩治と、みんなスカッとしてるけど、いいツラだなあと、うならせるようなとこはありません。
高橋 なるほど。
小林 ところが赤木だけは違うんですよね。真正面はそうでもないけど、横顔にはフワッと人の心をつつみ、さらにスッとひっぱっていっちゃうような感じがありましたよ。
高橋 たしかにそうだね。
小林 すごいんだけど、どっかに淋しそうな影があって・・・。
ちくしょう、いい顔してやがるなあと思ったもの。これは悪い意味じゃなく、ほんとにうらやましかった。
高橋 日本人ばなれしたような感じね。
小林 そうなんです、誰にも真似のできない味がありましたよ。
高橋 俳優になって何年くらいだったのかしら。
小林 まる二年でしょう。
高橋 まだそんなものだったの。実に惜しいな。
小林 日活に入ったのは、ボクが三期生で、彼は四期生なんですけど、その間に二、三年のブランクがありましたから・・・。
高橋 いっしょの仕事はないんでしょう。
小林 正式にはないんですけど・・・。
高橋 というと・・・。
小林 それが家で出演作品の写真をひっくり返してみていたら『嵐を呼ぶ友情』の写真があったんです。そのなかにギャングが五、六人ボクになぐりかかっているのがあって、その中の一人が、赤木にそっくりなんです、ただすごくやせているんですよ。
高橋 それが赤木クンだったの。
小林 そうなんです。「お前出ていたんだな」といったら「出てましたよ、知らなかったんですか、つめたいな」とかいってました。
高橋 いつごろの話、それ。
小林 あの事故のちょっと前。これがあいつと話した最後なんです。このあとすぐ、ボクは名古屋へロケに行って、帰って来たあくる日に、あいつ、ぶつかっちゃったから・・・。
★ぼやくタイミング
小林 見舞いにも行けなかったし、死に目にも会えなかったのがつらかったなあ。
高橋 それが現場にたずさわるものの宿命じゃないかな。
小林 こんどほど、それを痛感したこともないなあ。見舞いに行ってやりたいのはやまやまだけど、ロケだセットだと休みなくつづくでしょう。必死になって情報を聞いてんの。
高橋 わかる、わかる。
小林 最高にいらいらしちゃった。
高橋 それがどうにもならないんだ。
小林 だから、これじゃ運が悪ければ、おふくろの死に目にも会えない。男は仕事に生きるといえばそれまでだけど・・・。
高橋 ボクたちアナウンサーになるとき、親の死に目にも会えないかも知れないけど、いいかとか聞かれたもの。
小林 ボクらはまだ休めるけど、アナウンサーはほんとに代理ききませんね。
高橋 そうなんだよ。実況の途中で、ちょっと失礼ではね。(笑)
小林 「事実は小説よりも奇なりと申しまして、ボクの親父が病気なんです」(笑)
高橋 ほんとにサマにならない。(笑)われわれの方で代理がきくのは、盲腸炎だけ。やっぱり現場の仕事というのは、同じなんじゃないかな。
小林 そうですね。だけどよく考えてみればやっぱり幸福ですよ、ボクたち。たいがいの人は平凡な生活で終わっちゃうのにボクらいつも勝負してるもの。ぼやくかたわら、よし、ひとつやってやろうとファイトを燃やすでしょう。
高橋 ほんとにそうだね。ぼやく前にもう仕事をはじめてる。
小林 ぼやくタイミング、忘れちゃった。(笑)
『都会の空の用心棒』(日活 1961)
★七月に、また海外ロケ
高橋 ところでことしも外国へ行くの。
小林 行きたいですね。
高橋 海外ロケの計画あるんでしょう。
小林 まだはっきりきまってないようですけど、ボクのは、馬を使った大西部劇風なものを考えているらしいんです。
高橋 そりゃ、ゴキゲンだ。いつごろ。
小林 七月ごろかな。それにジャワからも正式じゃないけど、招待がきてるし。
高橋 あそこの景色はすごいらしいね。
小林 タイよりももっとイカスんだって・・・。ジャワの人でボクのファンらしいんですけど、日本にきてるときに『波濤を越える渡り鳥』を見て、ぜひ来るようにと電話くれて、電話でジャワの民謡教えてくれんの。
高橋 テレフォン・サービスだ。
小林 それが悪いけど、下手な日本語でしょう。弱っちゃった。
高橋 きるにきれないし、だけどボクは仕事は日本でして、外国へは遊びに行きたい。
小林 賛成!いっぺんアメリカへ行って、ハイウェイをすっとばしたくて。
高橋 いいねェ。どうも自動車の話にはすぐ乗っちゃう。(笑)
小林 きらいじゃない。(笑)
高橋 大変に好き。(笑)とくに、ロサンゼルスからラスベガスへの道がゴキゲンらしいね。東京から京都までくらい。
小林 そこを四、五時間くらいでとばしちゃうんでしょう。
高橋 梅幸さんがいってたけどハイウェイで、女の子の運転している車に乗せてもらったら、彼女ものすごくとばしながら、よそ見して果物食べたり、たばこ吸ったりするんだって。
小林 それでも、危なくないんでしょう。
高橋 時速八十から九十マイル出した車が、それこそビュンビュン走っているんだって。
小林 ああ、行きてえなあ。(笑)
高橋 ファンのキモをひやすような話はやめようよ。(笑)
小林 日本では自重して、アメリカへ行ったとき、思いきりとばしますよ。
高橋 それまで、スピードはおあずけ。(笑)
『太陽、海を染めるとき』(日活 1961)
幻の企画タイトル! 『さすらい』(1962.2月)になった映画。
(勁文社 「日活スタア・ヒットパレード」より)