昭和36年(1961年)2月の上旬、日活は大変な状況にあった。
石原裕次郎は、スキー事故で入院を余儀なくされた。赤木圭一郎が事故で帰らぬ人となった。
そんな頃に我らがマイトガイは大車輪の活躍をする。
時を戻して昭和36年(1961年)2月からの日活映画の封切作品をあげてみよう。
- 1/27:太平洋のかつぎ屋 小林旭主演
- 2/1:東京騎士隊(ナイト) 和田浩治主演
- 2/1:刑事物語 部長刑事を追え 青山恭二主演
- 2/8:俺はトップ屋だ 顔のない美女 二谷英明主演
- 2/11:紅の拳銃 赤木圭一郎主演
- 2/11:破れかぶれ 川地民夫主演
- 2/18:処刑前夜 川地民夫主演
- 2/22:俺はトップ屋だ 第二の顔 二谷英明主演
- 2/25:二階堂卓也 銀座無頼帖 銀座旋風児 嵐が俺を呼んでいる 小林旭主演
- 2/25:一石二鳥 長門裕之主演
- 3/5:大暴れマドロス野郎 和田浩治主演
- 3/6:花と娘と白い道 吉永小百合 青山恭二主演
- 3/12:ろくでなし稼業 宍戸錠主演
- 3/19:でかんしょ風来坊 小林旭主演
- 3/19:東京のお転婆娘 中原早苗主演
- 3/22:無情の夢 小高雄二主演
- 3/26:生きていた野良犬 二谷英明主演
- 3/27:警察日記 ブタ箱は満員 沢本忠雄主演
- 4/1:早射ち野郎 宍戸錠主演
- 4/3:機動捜査班 青山恭二主演
- 4/9:風に逆らう流れ者 小林旭主演
- 4/10:胸の中の火 川地民夫主演
- 4/16:無鉄砲大将 和田浩治主演
- 4/17:明日に向かって走れ 小高雄二主演
- 4/23:用心棒稼業 宍戸錠主演
- 4/23:大当たり百発百中 小沢昭一主演
- 4/29:大海原を行く渡り鳥 小林旭主演
<名前表記については、敬称を略させて頂きました。ご了承下さい>
雑誌「平凡」1961年5月号には、当時の人気アナウンサー高橋圭三氏の小林旭さんへのインタビューが掲載されている。
小林「裕ちゃんがカムバックするまで、ジョー(宍戸錠さん)と和田浩治とボクが頑張らないと・・・」
高橋「赤木作品を旭クンがやるんじゃなくて」
小林「そうじゃないんですよ。『嵐が俺を呼んでいる』なんていう“旋風児シリーズ”が一年ぶりに入ったりするんです」
高橋「旭クンのシリーズものは、ずいぶんたくさんあるね」
小林「そうでもありませんよ。“旋風児シリーズ”と“渡り鳥シリーズ”それにいまやってる“流れ者シリーズ”(『風に逆らう流れ者』)の三つ。
高橋「それを、とっかえひっかえやるんだから、相当にしんどいね。」
小林「別にどうということないな。ジョーがダイヤモンド・ラインに入って、主演ものをはじめたし(『ろくでなし稼業』)
高橋「ご立派。」
小林「正直いって、裕ちゃんがゴールデン・ウイークまでに出てくれれば、絶対に大丈夫ですよ」
(中略)
小林「ほんとに赤木は可哀そうなことしましたよ。いい奴だったのに…」
高橋「まだ二十一歳でしょう、惜しいね」
小林「なんか独特の雰囲気があったなあ。ボクらが見ていても、ああいい男だなと思うことがありました。同じ日活のダイヤモンド・ラインでも、裕ちゃん、ジョー、和田浩治と、みんなスカッとしてるけど、いいツラだなあと、うならせるようなとこはありませんよ。」
高橋「なるほど」
小林「ところが赤木だけは違うんですね。真正面はそうでもないけど、横顔にフワッと人の心をつつみ、さらにスッとひっぱっていっちゃうような感じがありましたよ」
高橋「たしかにそうだね」
小林「すごいんだけど、どっかに淋しそうな影があって…。ちくしょう、いい顔してやがるなあと思ったもの。これは悪い意味じゃなく、ほんとにうらやましかった」
高橋「日本人ばなれしたような感じね」
小林「そうなんです。誰にも真似のできない味がありましたよ」
高橋「俳優になって何年ぐいだったのかしら」
小林「まる二年でしょう」
高橋「まだそんなものだったの。実に惜しいな」
小林「日活に入ったのは、ボクが三期生で、彼は四期生なんですけど、その間に二、三年のブランクがありましたから…」
高橋「いっしょの仕事はないんでしょう」
小林「正式にはないんですけど…」
高橋「というと…」
小林「それが家で出演作品の写真をひっくり返して見ていたら『嵐を呼ぶ友情』の写真があったんです。その中にギャングが五、六人ボクになぐりかかっているのがあって、そのうちの一人が、赤木にそっくりなんです。ただすごくやせているんですよ」
高橋「それが赤木クンだったの」
小林「そうなんです。『お前出ていたんだな』といったら『出てましたよ、知らなかったんですか、つめたいな』とかいってました」
高橋「いつごろの話、それ」
小林「あの事故のちょっと前、これがあいつと話した最後なんです。このあとすぐ、ボクは名古屋へロケに行って、帰ってきたあくる日に、あいつ、ぶつかっちゃったから…。見舞いにも行けなかったし、死に目にも会えなかったのがつらかったなあ」
高橋「それが現場にたずさわるものの宿命じゃないかな」
小林「こんどほど、それを痛感したことはないなあ。見舞いに行ってやりたいのはやまやまだけど、ロケだセットだと休みなくつづくでしょう。必死になって情報を聞いてんの」
高橋「わかる、わかる」
小林「最高にいらいらいしちゃった」
高橋「それがどうにもならないんだ」
小林「だから、これじゃ運が悪ければ、おふくろの死に目にも会えない。男は仕事に生きるといえばそれまでだけど…」
この後、初の海外ロケの話となり『波濤を越える渡り鳥』の話に移って行く。
銀座旋風児シリーズは3作品で終わる予定だったが、裕次郎のスキー骨折事故により、ダイヤモンド・ラインのローテーションが狂い、急遽シリーズ続行として企画されたものだが、「銀座旋風児」の名前の通りに本来は銀座界隈が舞台のはず。名古屋が舞台というのは、流れ者シリーズ最終作の『風に逆らう流れ者』のロケが豊橋近辺だったことからの抱き合わせ企画だったのだろう。
『嵐が俺を呼んでいる』ロケレポート
名古屋のロケだが、アキラくんのこのロケのいでたちはというと…
粋なダスターに黒ソフト、短いステッキを持って、ちょいとしたアルセーヌ・ルパンといったところです。
名古屋駅前の豊田ビルの地下駐車場でのロケは、オール・アクション場面。
一日にアキラくんが射った弾丸は、なんと八百発。二日で千五百発もうったのだから、小道具さんは悲鳴をあげたほどの大乱闘場面。
「なにしろ耳がガンガンしてなんにも聞こえなくなった」ホテルで夜中寝られなかったとこぼしていたアキラくんだった。
あけと、ロケ最終日は、金のシャチホコで有名な名古屋城ロケ。
この日は事件も落着し、助手のルリちゃんをつれて、旋風児の名古屋廻り。まさに絵はがきのような撮影であった。
<近代映画「アキラ・ロケ・レポート」より>