「ダンチョネ節」の原点
小林旭さんの歌謡史の中では、新民謡的・俗謡的な曲が数多くあります。これらの曲はかつてのアキラ節を大きくイメージづける一連の曲です。これらを考えた時、その出発点は「ダンチョネ節」にあるといえるでしょう。当時、大ヒットしたこの曲がなければ後のアキラ節は存在しません。では、この原点となる歌を探りつつそれ以後の系譜を検証してみましょう。
「ダンチョネ節」(アキラ節ではなく本来のダンチョネ節を指す)は神奈川県民謡となっていますが、その原点は巷の流行歌だそうです。花柳界で歌われていた粋筋系の歌のようです。それが後には兵隊ソングとして様々な替え歌が歌われるようになりました。それは海軍や兵学校などで歌われたようです。(「ダンチョネ節」の歌詞の一部)
●「ダンチョネ節」の歌詞の一部
沖の鴎と 飛行機乗りは どこで散るやらネ はてるやらダンチョネ
タマは飛びくる マストは折れる ここが命のネ 捨てどころダンチョネ
三浦岬でヨ どんと打つ波ははネ 可愛い男のサ 度胸試しダンチョネ
別れ船ならヨ 夜更けに出しゃれネ 帆影見てさえサ 泣けてくるダンチョネ
(後のクラウンレコード時代の旭さんのアルバム「アキラの兵隊ソング」に軍隊調の「ダンチョネ節」が録音されています)
「ダンチョネ節」でWEB検索すると数多くのサイトが見つかります。しかし、それらに掲載された歌詞には全て神奈川県民謡となっていますが、メロディは合っていても歌詞はほとんどが替え歌のままのようです。神奈川県民謡とされるのは三浦市のお座敷歌である「三崎甚句」の歌詞に基づいたものと思われます。また一方で流行歌の「あすはおたちか」が変化して兵隊ソングとして「ダンチョネ節」として姿を変えたものであり、もう一つは大正時代に流行った舟唄が後に商船学校の学生歌となったことが原点と考えられます。
<三崎甚句>
エー 三浦三崎に アイヨーエ どんと打つ波は 可愛いお方の 度胸さだめ エーソーダヨーエ 三浦の港に菊植えて 根もきく葉もきく枝もきく エー 晩にゃ あなたの便りきく キタサーエ
<あすはおたちか>
あすはおたちか お名残り惜しや 雨の十日も降ればよい (一部)
<ダンチョネ節/学生歌>
逢いはせなんだか 館山沖で 三本マストの大成丸
アキラさんの「ダンチョネ節」
『海から来た流れ者』の主題歌である「ダンチョネ節」は上記の歌をベースとした全く新しい曲です。西沢 爽作詩/遠藤 実補作曲/狛林正一編曲
となっていますが、遠藤先生自身が仰るのは全くのオリジナル曲であるということ。補作曲ではないことです。上記のメロディを聴いて頂いてもおわかりのように(※検索で即座に出ます)
元メロディに似ているのは(本来の雰囲気を壊さない演出)ワンコーラス目の後半の一部分のみです。それさえも全く同じではありません。手元にこの曲をお持ちの方は改めて聴いてみてください。曲の素晴らしさはもちろん、マンボアレンジのモダンさ、元歌詞の雰囲気や心をはぐらさず新たな恋歌として描かれた詩。それに旭さんの哀愁を帯びた伸びやかな声がマッチして、ヒットしないはずがありません。そしてもう一つ、映画のサウンドトラックとレコード音源との違いをあげることができます。サウンドトラックの音感は哀愁を帯びつつも奥行きを感じさせます。そして歌詞は一部があきらかに違います。
<サウンドトラック>
逢いはせなんだか 小島のかもめ かわいアンコの泣き顔に
<レコード>
逢いはせなんだか 小島のかもめ かわいあの娘(こ)の泣き顔に
これは、『海から来た流れ者』が大島を舞台にした設定であることから「アンコ」としたものと考えられます。
「ダンチョネ節」が生まれた背景
『嵐を呼ぶ男』で奇跡的な大ヒットを飛ばした児井英生プロデューサー(故人)は、小林旭さんを石原裕次郎さんに続くスターとして売り出そうとしていました。そして、コロムビアのディレクター馬渕玄三氏(故人)も裕次郎さんの歌との差別化を考えていた。ペギー葉山さんの歌である「南国土佐を後にして」がヒットし、映画『南国土佐を後にして』が小林旭さん主演で制作され、これがまたヒットして、渡り鳥・流れ者シリーズの原型とされています。これは歌についてもこの作品が原点となるのです。つまり、この作品の主題歌は、一方で新民謡的であり、もう一方で兵隊ソングでもあったからです。「ダンチョネ節」の要素を持つ歌なのです。それに民謡的な歌に最適な旭さんの高音が活かされました。